BLUE CROW

二次創作非公式小説サイト。

GEORGIA

 

「腹減ったな。オゴってやんよ。来るだろ?お前ら」 

公園で遊ぶガキどもと、その親たちに思い切り煙たがられながら、日が暮れるまで缶蹴りを楽しんだ後に俺と柾木が北条さんに連れられてきたのは、なんてことはない、いつものファミレスだった。夕飯時の混雑も一段落した頃だ。ドアを開けると、勉強をするフリをしながら駄弁っている大学生みたいなのが何組か居座っているぐらいで、空席が目立つ。店に入るなり見覚えのあるウエイトレスが「いらっしゃいませ」と頭を下げ、こちらを一瞥する。ブレザーの胸ポケットから覗く煙草の箱を、一瞬睨まれたような気がしたのは気のせいではなかったらしい。人数だけを北条さんに確認して、「3名様/禁煙席」に案内されてしまった。 

 

「ったく、そう残念そうな顔すんなよ。こんな時間に中坊連れて行ける所なんて大してねえだろうが。まあ食え」

顔に出したつもりはなかったが、北条さんにはお見通しだったらしい。その割に機嫌よく笑っていた。今にして思えば別れの挨拶だったのだ。最後の晩餐というのは大袈裟すぎるが、選んだのがファミレスというのがいかにもあの人らしい。遠慮がちにしていた俺らに、北条さんは立てかけられたままの大きなメニューを手渡してくれた。 

 

「頂きまッス」

「んじゃ、お言葉に甘えますよ」

メニューを開くなり、ステーキだのハンバーグというファミレスの看板メニューである『肉』のページをすっ飛ばしてる学ランの柾木を横目に、俺はブレザーのネクタイを外した。さっきのウエイトレスだって、これが地元の中学の制服だと知ってのことだろう。わざわざ未成年者の喫煙を咎めるでもないが、喫煙席に通してくれるほど甘くはなかった。

俺はこのネクタイというやつが好きでない。ハッキリ言って嫌いだ。光嶺に入りたいのは、あの『光嶺』に入りたいという理由もあるが、学ランに憧れているせいでもある。人に話したことはないが。

 

「柾木、それこないだ買ったヤツか?」

北条さんは入る前から食べたいものは決まっていたようで、メニューは見もしなかった。見ていたのは柾木の首のチョーカーだ。

「あ、コレ。北条さんに選んでもらったヤツっす」

着崩した詰襟から羽モチーフのチョーカーが顔を覗かせる。

二人が一緒に買物に行くなんて知らなかったが、もちろん一緒に行っていけないわけがない。

「いいじゃん。やっぱお前はシルバーのチェーンとかよりそういうのが似合うわ」

俺はなんとなく話に入りづらくて、ハンバーグのセットに唐揚げをつけるか、クリームコロッケにするか悩むフリをした。

 

「お前ら注文決まったか?なら柾木、ボタン押せ」

2、3人掛けの長椅子を向かい合わせたテーブルは北条さんが向かい側を一人で使い、こちらは奥に柾木が腰を下ろしていて、手前に俺が座っている。壁側に配置された呼びボタンを柾木が押すと、店内にピンポンと音が響き渡った。

 

ひと通り注文を終えると、北条さんは「あとドリンクバー3人で」と付け足した。

「いや、いいッスよ」

と止めようとする柾木に合わせ、自分も不要である旨を伝えようとしたが、「いや、いいんだ」と逆に俺らが止められた。

機械的に『ご注文を復唱』するウエイトレスの声を聞き流し、「よろしいですか?」というマニュアル通りの問いかけに適当に頷く。下座の役割だ。

ウエイトレスが厨房に向かって歩き出すなり、北条さんが身体を前のめりにして右手をひらひらと動かす。小声で話をしたい時にやる動きだ。俺と柾木がすぐさま頭をテーブルの中央に寄せると「バーカ、煙草吸えねえんだからドリンクバーで時間潰すしかねえだろ」と北条さんが囁き、ニッと歯を見せる。短い話が終わるとただ広いだけが取り柄の背もたれに思い切り寄りかかり、まるで煙を吐くかのように大きく息を吐いた。

柾木はすぐに「そうッスね」と顔を綻ばせた。俺は「なぜそんなに時間を潰す必要があるんだろう?」と考えていて、笑いを浮かべるのが僅かに遅れた。

今になって思えば、話なんてどうでもよかったのだ。ただ単に、北条さんは俺らのために時間をくれたのだった。

これがもし北条さんでなければ、あの狂犬と呼ばれる柾木千春は何かを思い、何らかの疑いを持っただろう。隣に座る無駄に美形な一匹狼。今だけは従順な飼い犬のようだ。見えない首輪に繋がった鎖を誰が握っているかなんて、火を見るより明らかだ。

「柾木、俺コーラのメロンソーダ割な!」という北条さんのマニアックな注文を受け、奥に座った柾木が立ち上がろうとする。通路側に座った俺が塞いでいては柾木がドリンクバーへ立てないので、特段飲みたいわけでもなかったがコーヒーを取りに席を立った。

 

ひとしきり食って飲んでダベって。不良中高生の余暇の過ごし方にしては非常に健全すぎるこの数時間。何杯目かの不味いコーヒーも、そう悪くないと思えてくる。面白い話や楽しい喧嘩が大好きな北条さんがいっぱい喋って、俺らはそれを聞いて笑う。この時はこれが最後だなんて思ってなかったから、バカみたいな話しかしてなくて、ひとつひとつの内容はあんまり覚えていない。それでも、俺も柾木も楽しんでいたはずだ。俺らに少しも匂わすことなく、黙って消えた北条さんを改めて尊敬するのはもっと先の話だが。

そして柾木が一層孤独のオーラを纏い、悲しく尖るのを見て、絶対光嶺に入ろうと思うのももう少し先のことだ。 

 

「いいって、いいって。って言うかお前ら、年上の顔は立てとくモンだぜ?」と笑い、支払いを済ます北条さんに礼を言って店を出る。

素面なのに北条さんは終始テンションが高く、別れ際にガッツリとひとりずつ抱きしめられた。

別に変な意味はない、と思う。いきなり高く笑い声を上げて「柾木!」と叫んで、両腕を広げて飛び込んでいった。柾木は突然のことに驚いたのか、一歩だけ後退りつつも、されるがままに抱きしめられていた。「おーお前もデカくなったな」とか親戚のジジイみたいな台詞を吐いている北条さんの腕の中で柾木は固まっていた。柾木の猫っ毛がワシワシと掻き乱される。

ひとしきり柾木をガシガシやったあとには「砂原ァ!」と逆立てた金髪がこっちに向かってきた。柾木が絡まれてる一部始終を笑って見てた俺には心の準備はできていたので、両手を広げてガッツリと抱き合った。

「アハハ!お前もノリ良くなったなぁ」なんて言われる。密着してるもんだから、お互いに笑って腹が動くのが伝わってきて余計に可笑しかったのを覚えている。

だが、俺は北条さんの肩越しに柾木を見てしまった。暗いファミレスの駐車場で柾木は今までに見たことのない顔をしていた。あまりにも俺の知っている柾木千春の顔とは違っていた。その瞬間、見なければ良かったとひどく後悔した。胃は十分幸せに満たされているのに、暖まっていたはずの内臓の温度が急降下していくような感覚だった。 

 

この日は北条さんが帰り、柾木も方向が逆なので駐車場で解散した。柾木の様子が気になって「コンビニでも寄るか?」と声をかけるかどうか迷ったがやめた。こんなことは初めてだった。

柾木に何か言おうとしたし、言いたかったが、俺自身何を言ったらいいのかこの夜はよく分かっていなかった。正確に言えば薄らぼんやりとは分かっていたのだが、言えるだけの言葉も持ちあわせておらず、たとえ奇跡的に上手い台詞がが出てきたとしても、それを口にするだけの勇気はあの日の俺にはなかった。 

 

あれから時が経ち、北条さんは消えた。俺と柾木は光嶺に入った。朝桐というバカが転校してきて、いろいろとバカらしいことがたくさんあった。柾木は少しだけ笑うようになった。

そして、北条さんが戻ってきた。北条さんの前では柾木は向井みたいによく笑う。俺は心底ホッとしていた。北条さんがいて、柾木がいて、朝桐や他の奴らがいて、また楽しくなりそうだと思った。

だが――。

 

 

 

柾木は「北条さんについた」と電話をしてきた。

その声の決意の重さが、俺にあの夜のファミレスで見た柾木を思い出させた。殴られて血を流しているわけでもないのに、内臓から血の気が引いていくあの感覚だ。 

 

知りたくないと思っていた。ガキみたいな感情だと思う。

ただ、悔しい。俺は北条さんみたいに懐が広くない。まだまだ器が小さい。

でも、俺は今の北条さんをどう思っているのか考えれば考えるほどに、あの人のことが分からない。すぐ近くにいてくれたと思った人を、やけに遠くに感じる。

ケンカバカばかりが集まって喧嘩と馬鹿だけをやっている光嶺という学校を俺は楽しいと思っている。たとえ相手が北条さんだろうが、光嶺を潰されるのを光嶺の砂原竜介として黙って見てはいられない。 

 

「じゃあな…… 砂原……」

電話の向こうから、一方的な別れを告げる言葉が聞こえてくる。

北条さんさえ戻って来なければ――。栓のない仮定が嫌な現実を否定しようとする。

あの日、北条さんにおごられたドリンクバーの不味いコーヒーの味がよみがえってくる。

思わず噛んだ唇から血が出た。

嫉妬の味に狂いそうになりながら電話の向こうの柾木に声を荒らげるも、返事は返ってこない。冷たい電子音が俺たちの関係をも断絶するかのように通話終了を告げていた。


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