BLUE CROW

二次創作非公式小説サイト。

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未生知、焉知死

  • 2013/03/03
  • カテゴリー:MEMO

まさか無限の住人の感想なのにこの知性の低いサイトにて、論語を持ちださねばならない日が来るとは思っていませんでした。沙村広明の雑学の広さというか、興味の果てしなさ、サブカル極まっておりますね。さて3月に突入してしまいましたが、まずは30巻の初見の感想を書きます。実はまだ1度しか読んでません。完結を受け入れていないわけではなく、センチメンタルな気分というわけでもなく、まあ長い付き合いの終わりを急ぐこともないなーっていうやつです。

最終話だけはアフタで読んでいました。比較のためにアフタ出してきたら扉絵が変わってましたね。アフタの方の扉絵はあとがきのページに使われていました。確かにアフタの方の卍さんの背中は地味すぎた。単行本のほうが好きです。

槇絵は病気で死ぬんだろうなあ~というフラグをガッチガチに立てておいて、まさかの英様ww 作中最強のキャラがネタキャラ(←もみあげが)にやられる展開いいじゃないですか。意外といえば意外だけど、ある意味では妥当。そういえば槇絵は初登場から演技してましたね。天津と槇絵の幼い頃の思い出(犬即斬)のあたりで、2人とも死ぬんだろうなと思いました。走馬灯か。どうでもいいけど槇絵>犬>尸良・天津の順に強いこの漫画における犬とは一体…?
天津は当初から大陸由来設定があったということで、結果はかなり前からある程度固まっていたと思いました。 一貫してたと思う。凛が天津をやったのは良かったです。凛はあの場面で寝ているヒロインなんかじゃないだろ!!しかし敵の言ってることも分かるとか、情がうつってるとか、そういうのが脳裏をかすめたとは思う。それでいながら凛が選んだもの(言ってみれば天津がやったことに近い。さすが半ば以上逸刀流と言われた凛である)があり、凛とは違うものを選んだ練造がいるという。

そうそう!練造再登場ありがとうございます!ありがとうございます!
先生のもとで絵を習うというのは練造の物語のエンディングとしてはそれなりにベストエンドなのではないかと。練造は凛を許せないという割には気にならないわけでもないという相変わらずの素直じゃないツンデレ。しかも自分なりに腑抜けとは違う道を踏み出そうとしているという。これ父ちゃん地獄で泣いてますね(地獄なのかよ)(新夜は天国には行けないだろう…)。尸良だって「ったく……バカだな」って言ってる。で、描いてる絵が火の鳥?鳳凰?なんとなく生命とか太陽を象徴とするもので「おお!!」となりました。暗い絵描いてウジウジしてなんかいなくて良かった。「そうやって描いた絵で飯を食って(=糧として)生きてやるよ!凛のバーカ!!」っていうのを勝手に読み取りました。

百琳と凶に関しては全く死ぬ危険を感じてませんでした。前者は作者の愛を一心に受けていて、後者は最初から死なないキャラです。百姐はかなり好きなんですけど、しかしホントに姐さんは美味しいなw 偽一はある意味では一番かっこよかったと思います。

凶は好きというわけじゃないんだけど憎めないのは分かる。「馬の付属物」だの「逸刀流辞める辞める詐欺」だの言ってたけど、なんだかんだで心の底からは嫌いじゃない。悔しいけどかわいいというのはちょっと分かるw
瞳阿と夷作はそれでいいよwっていうか出ると思わなかったから意外だった。まあ最終回に向けて瞳阿はチラ見せしとかないといけないのかもしれないけど。怖畔はいろんなところからツッコまれていると思いますが、タムタムを思い出さずにいられない。サムライスピリッツ。 

ABBA山さんは死んでたと思ってたので、辛うじて生きてたことに驚いた。この人も自業自得とはいえ不幸な人よな~。影久の祖父代わり、父代わりみたいなポジションで、ならず者集団を統率して…… 孫娘が「あんまりだと思って」と言ってましたが、これは練造が尸良のことを似たような表現をしてましたね。因果応報ではあっても「あんまりだと思って」と言って助けようとしたり哀れんだりする人が1人ぐらいはいてもいいかなーっていうのを作品全体からなんとなく感じます。練造や孫娘に限らず、人間の心は10:0できっぱり白黒つけれるようなものじゃなくて、時と場合によってドロドロ混じったりするものであるというのはものすごく伝わってくる。それを「ブレ」と思うのであれば、この作品は合わないだろうなあと思いました。日本史も時代劇も好きでない作者の学生時代の勢いで始まってしまった漫画、変な引き伸ばしや急な打ち切りというものに見舞われずに終了できたというのは非常にありがたいことだと思います。細かい揚げ足取りはあんまりしたくないっていうのもありますが、20年近くに渡る連載の中で作者はもちろん読者も、変わった部分もあり、変わらないものもあったと思います。その最たるものは槇絵の台詞にもありましたが、「生きようと思うこと」だと思いました。「死にたい」とか「死んでもいい」とか「生きている意味が無い」とか思ってる、言ってみりゃクズでダメ人間な登場人物が、それぞれがみんな「この人のために死ねない、生きたい」に変わっていったような気がします。「変化」とか「成長」とかそういうありきたりな単語しか出てこないけど、みんなちょっとずつ変わっていって生きていったり、死んでいったりしたなーというのが十六年(←私のむげにん歴)を通して感じた一番大きなことです。「住人」というタイトルがそこまで考えてつけられたかどうかは置いておいて、今振り返って見れば、生きたり、死んだり、(犬とかカエルとかあんみつとかを)食ったり、ウンコしたり(←硬ェクソだった)、セックスしたり(←ザアアアア)という「人間」の話だったと思います。成長とか変化って言っても人間はそうそう大きくは変われないモノで尸良は九割九分外道のままだったし、凛なんてもっと上手くやれよ!ってとこいっぱいあるけど、聖人になんかなれるわけがないからそれでいいんじゃよ~生きてることなんか全然わかんねーや、まして死ぬとか全くわかんね~っていうのでいいんじゃないかな…と。

全然まとまってない上に支離滅裂だけど1度読んだ感想です。成長とか変化に関しては最終章の尸良の時点で感じてましたが、29巻まで読んだところで確信に変わってました。最後に槇絵さんから「生きたいと思った」という台詞が出てきてくれて感慨深かったです。
「90年後」に関してまだ何も触れてないので、今度。 

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