前々回90年後について触れられなかったので、主に90年後について。
正直を言うと30巻に収めることを目的としすぎて少し最後が詰め込んだなあ、という気はします。大ゴマ使った余韻がもうちょっとだけ欲しかった!少しあっさりしすぎていた感はある。
以前のインタビューにて沙村先生が発言されていた「最終回は喪失感云々……」というのは全然なかったですね!
あとがきで自ら述べられてますけど、無限の住人を含めて沙村広明を好きな人って、「ジャンル:沙村広明」だと思うんですよね。「むげにん以外の短編が好きです」という人が一定層いるとしても、デビュー作にして代表作である無限の住人をを好みはさておきスルーする人はなかなかいないでしょう。そんな訳でベアゲルターでもよろしくお願いします状態なので喪失感はゼロでしたな。
しかも卍さんは平成のこの時代にもその辺にいるかもしれないと云う。え?やだ?卍さんに謎の親近感?喪失感じゃなくて親近感?
それにしても帽子が似合いませんなあwと思っていたら、被せてあげてた。かわいい。
「萩で塾に通わされてた」って、卍さん松下村塾で勉強してたの!?京都で会った逸刀流みたいな連中ってどう考えても「新撰組」ですよね。廃刀令時代に刀持ってるって、まさかのるろ剣時代。
ワァーオ!まさかここでうちで扱ってるジャンルがニアミスの可能性微レ存とは思わなかったでござる。剣心VS卍とか斎藤VS卍なんてことになったら、剣心は卍に「必殺技をww叫んでるwっw」って言われてしまう…。
しょうがないだろ!掲載誌と読者層の都合だ!!
それはともかく随分波瀾万丈かつベタな90年を送ってきたようで。維新志士になって刀でも振るってたんでしょうか。無限の住人幕末編はページと作者の都合で描かれることはありませんでした。
卍さんは凛を置いていかない選択もなかったわけじゃないし、凛だって追いかけても良かったのかもしれない。
でもそれをしないという選択を主人公二人はしたんですな。
凛の卍に対する気持ちは複雑ですよね。父であり、非実在兄であり、推定だけど初恋の人でしょう。でも恋とはちょっと違うかもしれない。いわゆる吊り橋効果にハマっちゃってた部分もあると思います。
これは例の手をつないで寝るシーンを読み返すしかないのですが、凛は卍と寝てもいい、むしろ抱いてくれ状態。一方卍はその気にさせといて冗談。アレをどう読むかだよね……。
「妹に似てるから無理」じゃなくて、「凛だから無理」になった瞬間かな。
「ご褒美を頂戴よ」でも気づいてて知らないフリする大人だったよ卍さんは。
凛を追いかけて関所破ろうとしたり、冷たい沼に凛のために飛び込めるぐらいには凛のことは好きなのに「兄」のポジションはとうとうやめなかった。いやもう「兄」じゃないけど凛を伴侶とはしなかった。
これどうなんだろうなあ。自分と一緒になっても凛だけが老いていくのは辛い……ていう話は閑馬永空がしてた。
2人の出会ったキッカケが復讐だから一緒にいてはいけないということか。
凛もそれは頭では分かってて別れる決意をしたけど、百姐に言われりゃ泣いちゃうし、刀を子孫に託すのもどうかと思っても捨てられなかったんでしょうね。
前回も書いたけど無限の住人のキャラって、「剣の腕が立つカッコいいキャラ」じゃなくて、弱くてだめな部分もいっぱいある人間だからこそ、未練たらしく託しちゃったのかな。ものすごく凛らしい。
それが良いか悪いかはこの際どうでもいいです。
この日記のタイトルにもしましたが、カバー折り返しの沙村先生の論語から引用したお言葉の意味が分からなかったので目の前の箱で調べました。
人が過失を犯したときは、十分に観察することが大切である。もしその過失が、本人の誠実さから出たものであれば、むしろ過失を犯したその人自身が仁者であることを知る。
最終巻でこれを出してくるとはすごく重い。
無限の住人における最初の過ちとは天津三郎の武器でしょう。それは過失だったかもしれないけど、三郎に悪気はなかった。
ホントに完璧超人の一人も居ない漫画でしたね。ビジュアル面ではともかく、ストーリーとしての単純明快なエンターテイメントを無限の住人でやるつもりはなかったんだと思います。いや3巻ぐらいまでは見開き解体でそれをやるつもりだったのかもしれないけど。
ダメながらも少しずつ前へ進んでいった登場人物たちもお疲れ様でした。
その最たるものは偽一かな、と思います。いや、偽一は最初から知ってたけど見て見ぬ振りをしていた。
「力を得た者は代償に何かを失ってゆく」
「他人より強からんとつとめるなら一番大事なものさえ失くさねばならん」
偽一はもう何も失いたくなくなったのでしょう。一時期腐ったこともあるけど、結局は目の前の自分の出来ることをして、最後には土下座、ボロボロの身体なのに余生も働き者。ものすごい真面目な人でした。
なーんて考えてみたけど観過斬知仁矣は「時事ネタはキツい」とおひっこしで言ってたくせに、ハルシオン・ランチで時事ネタ連発しちゃうとか、そういう自虐もあるのかも?とは思ってるw 私は沙村先生も無限の住人も好きなんですけど、漫画でもなんでも作品や登場人物には作者の一部が出るものだとは思います。
全部が全部だとか、キャラの思ってることの全てが作者の主張だとかじゃなくて、隠そうとしても滲み出るものだと思ってます。悩みながら迷いながら長い冬を越えて辿り着いた春(表紙絵)。
作中には一切描かれませんでしたが、卍と凛もお別れのお花見デートぐらいはしたのかな。表紙カバー取ったとこみたいに木の下でゴロンと寝て、最後だってのに他愛もない話してるような、そんな卍と凛だったのかなーと妄想してどこよりも遅そうな無限の住人感想終了です。