BLUE CROW

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水戸路

御岳が書簡と一緒に刀に巻いていた手形を懐に入れた尸良と、自分の背丈には不釣合いの刀を両手でしっかりと抱えた練造。彼らが松戸の関をくぐった頃には、日も西の地平に沈もうとしていた。尸良よりもいくつか年の若いであろう番人は、

「今は先に来た者の改めを行っている。しばし待っていろ」

と居丈高に告げたきり、なかなか出てこない。この寒い時期に、水戸なんかにわざわざ出かける馬鹿が自分たち以外にもいるのか、と思っただけで尸良は黙っていた。待たされるのは嬉しくないが、万次を殺せるという楽しみをじわじわと感じるのは悪くない。懐には幕府の役人から直々に貰った手形がある。一見して疑わしいことこの上ない自分と連れだが、手形が本物である以上疑いようがない。少しずつ赤く隠れていく夕日を眺めながら、ぼんやりと尸良は立っていた。一方、練造は落ち着きなく関所の奥の方をそっと覗いてみたり、じっと自分の足元に視線を落としていたかと思うと、ぱっと尸良を見上げてきた。

「なんだ? 別に心配いらねえぞ。己達にはちゃんとした手形があるんだからよ」

着物の合わせ目から手形を取り出して練造に見せてやろうとしたが「あぁ、お前、字読めないんだったな」と再び奥へと押し込む。

「いやー、手形があって助かるよな。普通に考えりゃァ己達なんかどう足掻いても手に入れらねェってのによ。加賀に行くときなんか大変だったんだぜ? まあ、あの頃の俺はよ、それなりに金もあったからその辺の奴らに金握らせて……って、この話は前にしたよな」

打ってもちっとも響かない練造である。基本的に尸良の人生は一人相撲だったが、こうも無視無言を貫かれてはさすがに心が堪える。自分が練造に毎夜のように強いていることを思えば、当然の反応であると言えるが、着物の合わせ目から入り込んでくる北風がやけに冷たかった。尸良は「ふぅ」と一つ息を吐く。練造の持っている刀の柄が赤い光をはね返して輝いている。はじめは、おとなしいガキだと思っていたが、鼠を食わそうとするわ、逃げ出すわで見た目よりは根性が座ってる。半端者には違いないが、元々無口なわけではないようだ。

「おい、そこの2人! そうだお前らだ、中へ入れ」

不遜な態度の番士に言われるがままに関所の中へと入ると、関の向こうへと出て行く父子が2人の目に入った。父親は尸良よりは年上だろうがまだ若い。子供は年の頃3つぐらいの男児だった。この関で最も位も齢も高いと見える男が「坊主、父ちゃんと旅か」と子供に声をかけて、丸い頭を撫でた。驚いたであろう子供は何も答えられずにきょとんとしていたが、「気をつけて行けよ」と続けられると「うん!」という元気な声が響き渡った。父親の方が恐縮して頭を下げる。そして父子は仲良く手を繋いで歩き出した。

「待たせてすまぬな。今の父子は別れた母親の葬儀に水戸へ行くんだと言ってな、あの小僧はまだ何も知らんのだと」

ひと通りの見送りを経て、ようやく番士が二人へ向き直る。

「へぇ、そうなんスか」

興味を示したのは口先だけで、内心ではとっとと確認しろと急かしたい。毛髪だけでなく、髭にまで白いものが混じりだしている高齢の番士は、尸良が差し出した手形を受け取り、印を確認するとすぐにそれを返す。中身などろくに見てはいない。心は先ほどの父子に同情する気持ちでいっぱいなのだろう。尸良は、逸刀流が幕府のたるみぶりに怒りを感じる理由に少しは肯けるような気にさえなっていた。

「お前達は? まさかこの時季に物見遊山でもあるまい」

番士は関所の本来の役割である不審者を通さないことよりも、ここを通る人間の来し方行く末の方が興味があるらしい。つくづく平和ボケが染み付いている。尸良は思わず唇を噛むが、もちろん痛みは感じない。

「なァに、似たようなモンですよ。……じゃあ、己達も行っていいんスかね?」

苦く笑い顔を作る。母を亡くし、父を殺されたガキの仇を殺しに行くとは言えるはずがない。一刻も早くここを離れたかった。

「お、そうか。道中達者でな。坊主も風邪をひくなよ」

見るからに好々爺といった具合の、人の良さそうな番士はわざわざ練造の目線に屈んで声をかける。それまで俯いていた練造はハッと顔を上げて何も言わずにゆっくりと頷いた。

尸良は自分ではそのつもりはなかったが、関所を後にすると、やや急ぎ足になっていた。小走りになっていた練造が吐くゼエゼエとした息の音で、ようやく自分が大股で歩いていたことに気づく。歩くのに集中しすぎて周りが見えていなかったが、周囲は暗闇の支配下に置かれつつある。そろそろ今夜の寝床を確保しなければならないと思いながらゆっくりと足を止めた。一人であれば歩幅も寝床もどうとでもなるのだ。少し前の自分なら考えもしなかったことだ。

「ねえ」

立ち止まると珍しく練造が尸良に声をかける。

「あァ?」

見上げた練造の目線に合わせて、尸良は首を曲げ、目線を下ろす。そのままゆっくりと歩き出した。今度は大股になり過ぎないように気をつけて足を動かす。

「……さっきの人、いい人だったね。幕府なんてもっと嫌な奴ばっかりだと思ってた」

練造も尸良の歩みを追いかける。

「何言い出すかと思えばそんなことかよ。そりゃァお前、とっ捕まってたときは己達は罪人だったんだからよ。ロクな扱い受けることもねえだろ。今はそうじゃねェ、ちゃんとした手形も持ってる。人間なんてのは、そういう外面にコロッと騙されンだよ。よォく覚えとけ」

自分のような極悪人ですら手形一枚あれば、こうして関所も難なく通り抜けられる。手形の降りる人間への絶対的信頼なんぞ、まさに吹けば飛ぶ紙のようなものだと尸良は知っている。

「それにな、お上だっていい奴もいれば、悪い奴もいるのは当たり前だろ?」

前を向いて尸良は続ける。

「……?」

意味を図りかねた練造は、無言でそれを訴える。練造の疑問に対し、いつも尸良は本来であれば自分が答えるべきではなかったと思っている。答えるべきだった人間は他にいたのだ。あくまで過去形だが。

「あァ? バカだなてめェは。お上だけじゃねえぞ。一人の人間だってそうだろ。ある奴から見れば極悪人でも、別の奴……ああ、そうだな……そいつの身内とか見たらいい奴ってことだってあるだろ?」

尸良は喋りながら。少しだけ自分の唇が上手く動かなかったことに気付いていた。寒さに震えたせいではなく、手術の後遺症とも違う。ほんの僅かだがそれを練造に言うことを躊躇ったのだ。言葉を選ぶ、なんて今までにしたことがあっただろうか。川上新夜と直接の面識はないが、無骸流時代に聞いた逸刀流の川上新夜と、練造の話の断片から察する人物像には乖離がありすぎる。練造にとってはいい父親だったことぐらい、練造自身を見ていればすぐにわかった。そんな子どもじみた質問にバカだなと言って答えてやるのは、己ではなく川上新夜の仕事だった。

地下牢で尸良が練造に川上新夜のことを咄嗟に「知るかよ」と言った理由には、仇討ちをしてやると言いくるめて自分の世話をさせたいという下心がなかったとは言わない。むしろ初めはそれがほとんどだった。

「……そうだね」

練造は分かったような、分かっていないような返答をする。表面は分かっても本質までは判っていないと尸良は思った。だが、それ以上は今の練造が受け入れられる容量を超えている。子供相手の商売にしておくには惜しい感性を持っていた面屋の親父と、腕は立つが逸刀流の指折りの残虐非道の剣士。その二つの面を使い分ける業の深さに何の疑問もなく浸かり切るほど、練造は堕ちていない。自分がそこまでは練造を堕としたくないのだと気がついて、尸良は己の甘さを嗤った。

その夜、尸良は練造に触れることなく「頭が痛いんだよなあ」と軽く言うと早々に寝てしまった。運良く見つけた小屋の囲炉裏で時折ぱしん、と火の粉がはじける。揺れる炎が安らかな寝息をたてて眠る尸良の顔をチカチカと照らした。練造はそれをじっと見て苛々とした気持ちが湧き上がった。尸良の頭痛はこんな生易しいものではないことを練造は知っている。一旦痛みが始まれば黙って寝ていることはおろか、歩くことも儘ならない。普段は飯を食って寝るまでの間にやることは決まっているのに。いや、決まっているからこそ「やらない理由」をいちいちこじつけないといけないのだろうか。苛々とした気持ちの根源がよく分からないし、これは尸良に聞いても多分教えてはくれないだろうと思っている。

「バカはおまえじゃないかよ」

すうすうと息を立てて眠る白い男に聞こえないよう、小声で呟いて唇を尖らせる。炎の向こうに横たわる尸良をぼんやりと眺めているうちに自分も眠くなってきた。囲炉裏の火を最小限に小さくすると、暗くなった小屋の中をそっと歩いて尸良と壁の間の狭い隙間に転がる。一つしかなかった寝息はやがて二つの音を奏で始めた。

 

尸良のさり気ないつもりのさり気なくもない(そしてどうしようもない)気遣いを書いてみたかった。が、難しい。めそめそすんなよ→着物を脱げ!のようなえろい慰め方(慰めてるのか?)もいいし、こういうたまにはしない日もあったりしてもいいかな。シラレンなのにちっともエロくなくてすみません(笑)

尸良×練造の作品一覧