BLUE CROW

二次創作非公式小説サイト。

無月

父を殺されたあの日からずっと、練造の頭の中には絶えず濃い霧がかかっていた。スッキリとした気持ちになることはない。目を閉じても卍の着物を着たあの男の顔が浮かび、吐き捨てた台詞が頭蓋骨の内側に響いて、突き刺した肉の感触がありありと蘇ってくる。

現実もそうだ。暗い地下牢に閉じ込められ、やっと外に出たかと思ったら、秋は既に終わりに差し掛かっていた。どんよりとした鈍色が太陽を覆い隠して何日たっただろう。暗くて狭いところで日がな一日顔を突き合わせていることには最早慣れた。気が向けば尸良は勝手に話を始める。適当に相槌を打ったり、話に興味がある顔をしていればやりすごせるのだが、いつ、何の拍子に機嫌が悪くなるか知れない男と一日中そうしているのは気が疲れる。食べ物を探しに行ったり、あるいは逃げ出したりして外に出ることは赦された。尸良は何の慈悲か、はたまた只の気紛れかは知らないが、逃げ出した練造を追ってくるようなことはしないのだった。追手を気にしているのか、尸良は滅多に外に出て来ようとはしない。外に出て、何度も「このままどこかへ逃げてしまおうか」と思った。だが、練造は金も飯も土地勘も何一つ持っていない。あるのは家を出る時に持った狐面ひとつだけだった。空腹に耐えかねて盗みでも働こうものならとっ捕まるか、殺されるか。そのどちらかだろう。そうしなくても、餓えと寒さで簡単に死ねるということは練造にも容易に想像出来る。尸良は、どういうわけか自分を殺すつもりはないらしい。甚だ不本意ではあったが、練造は時間と命を尸良に預けることを選んでいた。

地下牢で聞かされた尸良の話に練造は耳を疑った。あの男は不死だ、と尸良は言う。俄には信じがたい話は、その男の動いている姿をこの目で見ることで、信じざるを得なくなった。父に言われた通り、客用の茶を買って戻ってきたあの日のように頭が熱くなる。濡れた身体が寒さを感じることすら忘れて、目の前が真っ白になった。あの時、自分を呼ぶ尸良の声を選んだのは間違いだったとは思わない。ほんの一瞬だが、尸良の声が練造の頭を覆う濃霧を晴らしてくれたような気がした。自分の行動がは決して正解ではないと思うが、少なくとも最悪ではないと思いたかった。

霧が晴れたような気がしたのはあの瞬間だけだった。手を生やした尸良はそれまで以上に簡単に自分を意のままに出来る。この選択は違っていたのではないかと己を責めたくなるほどに、昼も夜もなく相手をさせられた。

おそらく尸良にとって、取っ掛かりなど何でも良いのだ。有無を言わさぬ理不尽な命令に対し、練造は小さく息を吐いて帯を解く。反応が少しでも遅れると尸良の機嫌が悪くなるから、あまり遅くならない方がいい。腹が減っていたり、嫌な事があると特に怒りやすい。下手をすると骨の方の手で着物の合わせ目を軽く小突かれる。突き刺さらないよう手加減してくれるとはいえ、その髪の色と同じように白く尖った骨先は武器として造ったものだから痛いのだ。 腕を着物の袖を抜くのも待ちきれないという風に、露になった肩口を吸われる。外気に晒したばかりのそこはまだそれほど冷え切ってはいないが、尸良の唇や舌先は熱い。まだ練造が犯される苦痛に泣いてばかりいた頃、「こうやってっと暖まるだろ」と事も無げに尸良が言ったことがある。確かに肌に触られていれば寒さは忘れられるのだが、この痛みや苦しみを代償にしてまで得たいぬくもりなど存在しないと思っていた。他人のものであるにもかかわらず見事に馴染んだ尸良の左腕は、器用に練造の着物を脱がしていった。練造も一度始まってしまえばあとは嵐が過ぎ去るのを待つかのように、流れに任せた方が身のためだということを身を持って学んだ。

しかし嵐の様子は次第に変化していった。覆い被さってくる重さが以前より苦しくないことにも練造はとっくに気づいてしまっていた。近頃の尸良は練造を体重で押し潰してしまわないよう、右半身を地面に任せている。同じ齢ぐらいの女と一緒に放り込まれたあの日のような、内臓を押し潰す無遠慮な重みはもうない。石を穿つように激しく打ち付ける雨と、朝が来るまで鳴り止まない雷でしかなかった日々はとうに過ぎた。今は、冷たくも柔らかな氷雨が地面に落ち、それが地中へと吸い込まれていく。そんな静かな雨の夜が続いているのだった。 尸良は練造に触れることができない骨の右腕の肘から手首までを地面にくっ付けては、仰向けにしてある練造の身体の上に左半身を乗せる。卍の腕がなかった地下牢の頃の名残なのか、この腕がよりによって万次のものであることが尸良に自制の気持ちを起こさせるのかまでは判らない。主に尸良が使う器官は手よりも口だった。薄い皮膚を鬱血するほどに吸われ、喰われるんじゃないかという勢いで耳朶や鎖骨に噛み付かれる。痛みや恐怖に練造が苦しげな声を発すると、それすらも体内に取り込むかのように唇を重ねられた。食事とも会話とも違う目的で長い舌が器用に蠢く。行き場を見失った、どちらのものともつかない唾液が、練造の口元から顎や耳朶へと伝った。 流れ出したのは唾だけではない。本人の意思とは遠く離れたところで不意に練造の目元から零れ落ちる涙。冬だと言うのにお互いの肌は汗でしっとりと濡れる。そして何よりも意識してしまうのは、身体の奥まで触れ合った結果、染み出し、放たれた体液。練造はそういった経験は乏しかったが、本能的に感じたのは羞恥であった。。父にすらまじまじとは見られたことのない場所を暴かれて、犯される。頬や耳が真っ赤になっているのが自分でも分かるほどに恥ずかしく、細い腕で顔を隠してしまう。真昼間から事に及ぶときは、少し暴れれば絡みつく腕を振り払って逃げる事だってできるぐらいの強さでしか尸良は自分を掴んでこない。その一方で、辺りが暗くなったり、雨が落ちてきたときの尸良は絶対に逃がしてはくれなかった。右の手首を痛いほどに強く握られ、長い両脚が腰に絡みついて、逃げ場などどこにもなくなる。暗い小屋の中、その表情も読み取れない尸良は「逃がさねェぞ」と言って骨をチラつかせて脅したりはしない。ただ無言で圧し掛かっているだけだ。尸良がやけに静かなので、自分ひとりが喚いていることに気付いた練造は次第に抵抗するのをやめる。そうすると、朽ちかけた屋根に落ちる冷たい雨音のなかに、お互いの心臓が動く暖かい音が聞こえた。そんなものは聞きたくなんかなかった、と悔やんでも、なかったことにはできない。その時練造は、はじめて抱き合っている人間の温度に気付いてしまったのだ。このままもっと冷え込んで、雨音すら聞こえない白くて静かな冬になってしまったらどうなってしまうのだろう――。それを考えることを拒んだ練造は暗闇の中で固く目を閉じた。

 

手として地下牢に投げ込まれた練造の体内に、はじめのうちは何の遠慮も迷いもなく注ぎ込んでいた尸良だった。しかし、自分の身の回りの世話をしてくれている相手にいちいち「嫌だ」「怖い」「痛い」と泣かれては敵わない。そもそも肌の感覚を失っている尸良は射精に至るまで人よりも時間がかかる。皮膚からの快感に一切の期待ができないとあっては、練造に触れただけでは何一つ得ることができない。舐めれば気持ち悪そうな表情を浮かべ、噛めば眉間に皺が刻まれる。舌先で突けばビクリと動き、ふうっと息を吹きかけると堪えきれなかった声が漏れる。乱れていく練造に触れているうちに、尸良の脳もいくらかの快感をじわじわと感じていく。両腕が生えていた頃に何度か愉しんだ、挿れながら女の胸を突くという外道なやり方は、今の尸良には悦楽を与えてはくれない。肉が締まって自分自身が締め付けられるという皮膚の感覚があってこそ味わえる悦びだった。練造の身体がどれほど尸良を締め付けても、尸良は気持ちよくもなければ、痛みもない。尸良に快感を与えていたのは目で見て、耳で聞く練造そのものだった。そんなことを知らない練造は、いろいろなことをされているうちに息が上がって身体が熱くなる。朝も夜もなく自分を求める尸良が、まさか気持ちよくもなんともなかったなどとは夢にも思っていないだろう。性欲を処理するために使われている――ただそれだけだと思っている。尸良はそれを練造に伝えるのはやめておいた。気持ち良くないのに練造を抱く理由を、尸良自身がおおよそ判っていたが言葉にしてしまうことが、ある意味では恐ろしかったのだ。

覆いかぶさる尸良の額から滴り落ちる汗の粒も、注ぎ込まれる異質な液体も幼い練造にとっては深読みなど出来るはずもなかった。己は尸良の道具なのだとひたすらに思っていた。今のところ面白い道具だと思っているから壊さないでくれている。逃げようが追ってこないところを見れば、万次の手が生えている今となっては道具を失っても困りはしないのだろう。だから迫りくる絶頂に空を掻いた小さな手を尸良の左手が掴んだときは、練造も躊躇することもなくその手を握り返すのだ。快感のあまりに自分がどこかに落っこちそうで怖くなる。もう堕ちるところまで堕ちてるはずなのにこれ以上まだ堕ちるのかと恐ろしくなる。掴めるものなら別になんでもよかった。まだ己という道具を不要だと思われたくなかった。何よりも、自分自身がまた独りになるのが怖かった。

尸良には掴んだ手を強く握り返された皮膚の感覚を理解することはできなかった。だが、視界に映っている絡めあった指先からは、女の胸を突いて絶頂を迎える直前のそれや、気に食わない人間を嬲り斬った時の胸をスッと空ける清々しさとも違う、充足感がじんわりと滲んできた。が、その直後に後悔でもなく、不安とも違う、何事にも言い表せない苦しみの気持ちが体中に駆け巡った。淡い期待などしていなかった。そして自分が赦される人間だとも思っていない。それなのに、尸良は練造に求めてはならないものを求めようとしている自分に気付いてしまったのだ。

やがて張り詰めた緊張がとけて、ゆっくりと弛緩していくお互いの身体は、尸良の方が先にその手を離してしまった。その手で、まどろみの沼へ落ちていく練造の乱れた黒髪をそっと払い、尸良も横になる。厚い雲が夜空を覆い、星も月も浮かんでいない真っ暗な夜。左腕に微かに触れる練造の温度だけが暖かかった。


尸良×練造の作品一覧