「いやーいい湯だなァ万次さん、ほらアンタも一杯」
「っと、気が利くじゃねェか凶」
水戸で露天風呂、しかも雪見酒。酌をしてくれるのが逆毛のガキだってのが色気ねェがそこは今宵の月に免じて我慢してやろうと思ったんだけどよ…。
「おーっとと、あっぶねえな零すトコだったじゃねえか。あっ?そこは別に悲しい顔するトコじゃねェだろ。零れてねェんだからよ、いちいち気にすんな」
男湯で若ェの連れて酌して貰うたァ……いい身分だよな、尸良よ。
「オイ!尸良てめェ、さっきから小僧とイチャイチャしてんじゃねェよ!」
己が言う前に凶が銚子持ったままサバッと立ち上がった。貧相な“付属物”が視界に入って酒が不味くなりそうだ。
「尸良…………熱くてたまんねえわ」
喉を通る安酒と身体を包み込む湯が身体を暖めてくれるが、それ以上にむず痒い種類の熱さがここにはある。
「はァ?アンタらみたいなむさ苦しいのと一緒にしないで下さいよ。悔しけりゃアンタらの女に酌でもして貰えばいいでしょうが」
「……尸良てめェ、己の前でよくそんなことが言えるなァ?このまま沈めるぞコラ」
「ハイハイ、戴兄ちゃんも勝手な熱吹いてんじゃねーよ」
「お前にその呼び方を赦した覚えはねェな」
「あァ?」
風呂と酒で顔を赤くした男たちが真っ裸で騒ぐ姿はどう考えてもみっともない。白髪と逆毛(濡れたので逆立ってないが)が今にもおっぱじめそうなところを手酌しながら見ているのはなんとも馬鹿馬鹿しい……が、これで良かったような気にもなっていく。
もう一人の傍観者であるところの練造は湯の中の不毛な戦いで飛沫がかからないようにと上手くかわしてこちらへ寄ってきた。
「……己、まだアンタのこと赦せる……かどうか、判らないけど」
ガキは湯船の底に目を泳がせて呟いたかと思うとおもむろに己の手から銚子を奪っていった。
「…?」
「出してよ?盃」
どうやら酌をしてくれる気らしい。白魚の様な…と云うのは男には使わないが、まだ節くれ立ってもいない手が不釣合いな容れ物を傾ける。
「お前にこんなことしてもらっていいとは思えねェけど?」
と、言いつつも残った右手に掴んだ猪口を差し出した。
「別に赦したとかそんなんじゃないよ。けど、これぐらいは……」
己は左腕を尸良にくれてやったのだ。練造の望みは己の両腕だったが、半分で勘弁してもらった。練造の妥協は父親のことと凛のことがあるからだろう。代償としての価値がどれほどかと思ったが、飛沫を上げながら凶と馬鹿をやり合っている尸良を見れば、己が練造に出来ることはこれ以外にねェんだろう……なァ?
「それはありがたく頂くけどよ……お前、尸良に怒られねえか?」
とくとくと危うげな手つきで注がれていた酒が少しだけ零れて湯に落ちた。もったいねェがまあこれぐらいはいい(どうせ凛が先生に出してもらった金だ)。
「オイ尸良ァ!ちょーっと練造借りてんぞ!」
「えっ、ちょっ、練造!?」
まだ水遊び(湯遊びか?)してる白髪と逆毛をいいかげん止めることにした。クソ寒い沼に浸かって死に掛けた己は熱い風呂にゆっくりと浸かりてェんだ。バシャバシャうるせえったらねえ。
「尸良てめェ、まだ終わっちゃいねェぞコラ」
「万次!てめェ何してんだ人のモンに!」
「何もしてねェよ!そんなに大事なら目ェ離すな馬鹿野郎」
ザブザブと大波を起こしながら尸良が練造めがけて寄ってくる。尸良にかけた言葉の半分は自分や凶に向けたものだった。こうなったのも楽して駕籠で行こうとした(のは凛だが、反対しなかった)己の不手際だ。実際、凶や忍の女たちが助けてくれなかったらと思うと全く笑えねェ。自分の命がどうなろうと守ってやりたいと思ったのは元はと云えば町だったが、もう凛を町の代わりだと思ってるワケじゃねェ……が、冷たく遠のいていく意識の中で二度目を迎えそうになっていくのは空恐ろしかった。二度目を尸良に奪われた凶の怒り具合がどれほどかは笑えないぐらいに良く判る。でも…いや、だからこそ練造に二度目は要らねェ。
銚子を持ったまま固まりかけた練造を顔を覗いてやると、そりゃもう真っ赤も真っ赤、酔っ払ってるのかと思うほどに赤かった。が、「練造ーォ」と叫ぶ尸良の声に急に我に返った練造は、己に銚子を押し付けると逃げるように風呂を出て行ってしまった。
「どっちもホンモノだなこりゃ」
多分…良かったんだろうこれで。尸良を殺したら練造からもっとデカい恨みを買ってしまうに違いねェ。
万次も凶も何してくれてんだ。
せっかく練造に酌してもらって雪見酒と決め込んでたのに、とんだ邪魔が入った。出てった練造を追いかけようとしたら、万次の野郎に「まぁまぁちったァ付き合えや」と酒に付き合わされ、まあ、その、何だ。いい感じに酔いが回ってくるわなァ。万次の野郎も、己と練造のことについて聞いてきやがるわなァ。男同士で話すことなんざそんなモンだ。
「もう何回ヤったか判らねェ」って言ってやったら、凶の野郎なんざ人のことをケダモノを見るような目で見てくるし、万次は笑い声が山彦になるまで笑いやがった上に「尸良、てめェにも大事なモンが出来ちまったようだな。その腕、誰かに斬られたり喰われたりしねェように生きろよ」なんて説教までしやがった。
そんな事ァ言われなくても判ってる。だからこそこの手で頭撫でたり、いろいろいろいろ触ったりしてェって言うのに相当な時間を無駄にした。もう練造が寝てたらどうしてくれるんだ。そう思いながら開けた己達の部屋の襖の奥に練造はいなかった。
「練造ーォ!!オイ、万次、凶!練造来てねェか!!」
隣のむさ苦しい部屋に駆け込むとニヤニヤと笑う2人がまだ酒を呑んでやがった。
「来てねェよ。何?お前一人ぼっち?だせェな、ガハハ」
「つーか、己達の方に来るわけねェだろ。むしろあっちの方じゃねえのか。なんか懐いてたモンな、アイツ」
「練造ーォ!いるか!?」
万次と凶の部屋の襖を叩き壊す勢いで閉めると、その隣にある女の部屋の畳を蹴り開け…るのはさすがにやめて、廊下から声をかけた。中から「ほら尸良さんだよ」「じゃあね、練造くん」とか黄色じみた声が一通り聞こえたかと思うと、中からひょこりと練造が出て来た。
「……なーにやってンだお前。別に三つ指付いて待ってろとは言わねェけどよ」
「え?あっ?これ…これはさっき姉ちゃんたちが…」
練造の髪の毛には編み込まれてる部分があった。凛の仕業だな。練造は自分の頭を触るのに夢中でサラッと己の願望を無視してくれるし、あの女は昔っから余計なことばっかりしやがる。
「さっきちょっとのぼせたって言ったら、冷たい水貰った」
「で、女どもにとっつかまって頭で遊ばれたワケか」
己達の部屋の襖は練造が不本意そうな、かと言って不快でもなさそうな顔で頷きながら開けてくれた。男としては女に構われるのは、まァ気分いいよな。とは云え、凛たちは練造を「男」として見てるワケじゃねェ。その複雑さが表れている表情だ。己だって練造を抱いちゃいるが、女の代わりとして抱いてはいない。女が良ければ一晩かけて試した時に女を選んでる。それが練造に伝わっているかは正直判らねェ……。練造の後に続いた己は襖を閉めたその手で練造の頭に触れた。
「チッ、余計なことしてくれてんじゃねえよ」
三本に絡まりあう髪の毛をお世辞にも繊細とは云えない指先で梳いていく。されるがままおとなしくしている練造の両手がぎゅっと握られた。こいつは我慢する時にぎゅっとする癖がある。手でも足でも唇でもこれから起こることに耐えようと力を入れる。何度も回数を重ねて慣れているだろうに、いつまでも初めてのような素振がどれだけ己を興奮させるかまだ判っていないらしい。絶ッ対教えてやらねェけど。
ようやく梳いた髪の毛の中に手を入れて頭を触っては指の背で頬を撫でる。凛たちの部屋は炭を熾していたらしく、そこは火照っていた。
「己以外に触らしてんじゃねェ……とか言いたくなるだろうがよ」
行灯すら点してない月明かりの中でも判るぐらいに頬を染めた練造が一瞬ハッとした顔になり、目を逸らしながら口を尖らせる。
「……もう言ってるだろ、それ…」
親指の腹で尖らせた唇の柔らかさを確かめてみれば、よく知っている舌がぺろりと出てきて舐め取られた。
「へーぇ……。どうしたんだよ、今日は」
ついさっきまで誰もいなかった部屋はあたりの空気が冷えていて練造に触れているところだけが暖かい。
「……戻ったんだろ、肌の感覚」
練造は己の着物の合わせ目に手を添えた。丸い頭で視界を遮られているが、今まで何度も刃物を受け止めた胸の上で温かい指先がぎこちなく動いている感覚を確かに感じ取れる。
「たっ……試してみれば良いだろ?……掘っても気持ちよくないかどうか」
最後の方は消え入りそうな声だった。
「クックック…練造ォ……上等だァ、覚悟しとけ」